函館の時任町は函館出身者であれば誰でも知っていると思いますが、その名前の由来は意外と知られていないのではないでしょうか。
時任為基(ときとうためもと)は、明治政府開拓使の役人として函館市庁長などを歴任し11年間函館に住んだ人でした。その間、函館市街の改正、函館公園の新設、函館競馬の基礎、函館町会所の建設、水道の建設、願乗寺川の埋め立、時任牧場(様式模範牧場50万坪)の開発などを行い、明治初期の函館地方の開拓と発展に大いに尽くしました。その功績は大きく、昭和6年の町名改正の時に「時任牧場」にちなんでそのあと地の一部を時任町としたものです。ちなみ俳優の時任三郎は彼の子孫にあたります。
墓は為基の長女多摩子(明治15年死亡)のもので、時任家の墓とともに建てられたと推定されています。