嘉永7(1854)年、幕府はペリーの来航やアヘン戦争など東アジアの激動に対応するため、再び蝦夷地を直轄地として箱館に2度目の奉行所を置いた。
箱館奉行にはその任務の重要性から、初代の竹内保徳を始め、堀利煕、村垣範正、小出秀実、栗本鋤雲等々歴代幕臣のエリート達が任じられた。彼等は任期を終えれば江戸へ戻り外国奉行等に昇進するのが常であった。
杉浦兵庫は小出秀実の後任で11人目の箱館奉行として慶応2(1866)年4月22日箱館に着任した。着任早々、日ロ間の樺太国境問題や英国人がアイヌ墓地から人骨を盗掘し大英博物館へ送った事件など難しい問題が彼を待ち受けていたが、無事にこれらを解決している。